歴史的背景
サハラ砂漠が干上がる以前から、モーリタニアにはハム=セム語族のいくつかの民族集団が住んでいました。人々は同じ言語を使い、同じ社会背景を共有していたといいます。彼らは度々衝突を繰り返していた同時代のギリシア=ローマ人から、「外国人」を意味する「ベルベル人」と呼ばれていました。また、北部オアシス・ネイティブのバフール人やナイル川上流域から移動してきた遊牧民族 peuhls、また現在のモーリタニア南東部全域にわたる、広大なガーナ帝国を築くこととなるソニンケなどの黒色人もが存在していました。
約2千年前、北アフリカにラクダが登場。ラクダは過酷な砂漠環境にあって、地域の交通手段としてアフリカ北部とサハラの間の文化交流や交易の発展に寄与。そのおかげでベルベル人を起源とするサンハジャ族は徐々に南下し、ガーナ帝国の境界まで勢力を拡げることに成功しました。ガーナ帝国が当時築いた街の様子はアラブの探検家、ibn Haoukal とEl Bekri の共著「El Memalik Wal Massalik」に記されています。
11世紀には、ベルベル族の指導者、アブドゥラ・イブン・ヤシン率いる政治宗教運動がモーリタニアに広まり、モロッコ、イスラム支配の北部スペインを始め南部のガーナ帝国まで強大な勢力を広げることに成功しました。
15世紀ごろには、アラブ人部族が到来。彼らはアラブ半島からエジプトやチュニジア、モロッコを経由して進出。モーリタニアに浸透してゆきました。彼らは当初からオアシスの住人やサンハジャ族らと度々衝突。その中で、30年長期に及ぶ抗争は "Shar Bebbe" (1644-1674)として知られています。
17〜18世紀にかけては、アラブ人は北方にアドラール、南部にトラルザ、南東にブラクナ、そしてタガント、地域の東サンハジャ首長国を建国します。この頃になると争いを繰り返していたアラブ人とサンハジャ族は種族間で婚姻が繰り返され、文化・社会的に融合したひとつの共同体を作りあげ、以来現在に至るまでモーリタニアに暮らしています。
歴史的記念日
- 1855年: 殖民地化が進行。後に文化交渉の拒否と武装抵抗運動を生むこととなります
- 1903年: ムーア人(主にアフリカ北西部に住むアラブ人とベルベル人の混血人種)のprotoctoratと呼ばれるようになります
- 1904年: 市民行政区化
- 1905年: 行政官Xavier CoppolaniがTidjikjaで殺害
- 1920年: フランスが殖民地宣言
抵抗運動の激化。"Oumtounsi"の戦いではMc Mahon中尉が戦死
北・中部、セネガル川流域で武装抵抗
- 1934年: 武装抵抗運動の終結
- 1945年: フランスが海外領土宣言
- 1957年: "Deferre" 法の採用。
- 1958年: モーリタニア共和国として自治権を獲得
- 1960年: 11月28日完全にフランスから独立
モーリタニアは13の地域(wilayas) と53の行政区(moughataas) で構成されています。
その他の記念日
- 1991年7月20日 民主主義導入による国民投票の開始
- 1991年7月25月 出版の自由と多元主義法の宣言
- 1992年 上院議員および下院議員の国会選挙
これらの制度は今日、平和と発展のために必要な国民の安定と持続的な自由を保障することを目的とし、施行されています。
憲 法
モーリタニアは1991年7月20日の国民投票により以下の内容を含む憲法を制定。
- 多元主義国家と民主主義体制の定着
- 公的、個人的自由の確保
- 市民の基本的人権の尊重
- 組織や団体の自由
- 報道の自由
- 選挙制度
- 憲法評議会の運営
- 所有権
- 政治団体、組合の権利
- 経済および社会権
- 家族に関する権利 など
行政の権限
1991年7月の新憲法採択は民主主義プロセス推し進め、政党の誕生、大統領選挙、議員選挙を実現させました。この政治状況から大きな希望が生まれましたが、当時、政権を掌握していた民主社会共和党(PRDS)の覇権状況が様々な政治的ひずみを生み、その政策は権力の交替を不可能にし、他の政治権力を追いやり、民主主義プロセスは大きな痛手を被りました。経済社会危機を伴った政治状況の行き詰まりは2005年8月3日エリー・ウルド・モハメド・ヴァル大佐率いる正義と民主主義の軍事委員会による政権移行を実現させました。新の複数透明民主主義を確立する好機への準備期間としてこの軍事委員会は19ヶ月の移行期間をリードしました。
軍事委員会のリーダーシップの元、2006年6月26日に、国民投票による憲法改正が採択されました。これにより、権力の交替が自動的に行われ、大統領の就任期間は従来の6年から5年になり、任期は2期に限定されました。
同年10月、上院および地方選挙が行われ、2007年1月には下院選挙が、3月には大統領選挙が行われました。全ての選挙は透明かつ公正に組織され、選挙のプロセスに立ち会った各国および国際監視機関は全ての選挙が公明正大に実施されたことを高く評価しました。
2007年3月25日、シディ・モハメド・ウルド・シェイク・アブダライが大統領に選出され、4月19日にモーリタニア・イスラム共和国の大統領に正式に就任しました。就任式には各国元首、政府代表が参加、友好国からも特別に使者が派遣されました。
今日モーリタニアは再び、憲法の秩序の下に結束。新政府が定められ、選挙の結果、民主主義制度が再びスタートしました。この状況は経済成長と外国の直接投資に有利なクリーンな環境を作りました。
その他の組織
- 憲法制定委員会
- イスラム高等委員会
- 経済社会委員会
- 高等裁判所
- 最高裁判所
- 会計監査員
- 行政監察委員
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